なぜセミリタイアしたのか~生き方ミニマリスト~

セミリタイア生活

 

メンタルやリストラではなくセミリタイア生活を始めた

以前の記事小規模小借金の不動産投資でセミリタイアする方法の概要で記載したように、私はサラリーマン時代の小規模の不動産投資で築いた資産をもとに、弱小大家としてセミリタイア生活をすることにした。なぜ、そのような小規模な資産でセミリタイアをすることにした理由を記していきたいと思う。

そんな弱小な専業大家さんになるなら、サラリーマンを続けていたら良かったのではという疑問がある方がいると勝手に想像している。また、その実、メンタルをやられたとかリストラに会ったとかじゃないのと思っておられる方もいらっしゃると思う。それら私が勝手に想像した疑問にお答えできればと考えている。

サラリーマン時代は忙しかったが盲目的であった

私は退職するまでの間、セミリタイア生活について書かれているブログは読んだことは無かったし、そのようなブログが存在しているということも知らなかった。つまり私の退職は、諸々の事情によりなんとかして会社を辞めたいという思いでセミリタイアブログにたどり着き、達成者を参考にして実現に向かって努力し、遂にはセミリタイアを達成したというものではなかった。

特に退職前には、単身赴任のサラリーマンと少々規模が大きくなった不動産投資の掛け持ちの日々の生活が忙しくて、人の書かれたものを読んでいる時間は全く無かった。

私自身、単身赴任になる前は朝の6.30に家を出て翌日の0:30ごろ帰って来る日々を過ごしていたし、単身赴任先では通勤時間が短くなった分、少し楽になったが、土曜日の早朝に東京に向かって新幹線に乗り、日曜日の夜中に赴任先に戻ってくるか、帰宅しない週末は現地で不動産投資活動をしているような生活で、基本的には厳しい生活であった。

ただし、サラリーマンとして働いている当時は、40代の働き盛りというのは大変だなと思いつつ、40代のサラリーマンは誰でも同じようなものだろうとの思いで、特にメンタルをやられて出社拒否になったり、精神科に通ったりすることも無く、サラリーマン生活を送っていた。

職場では50人に1人くらい休職している社員がいた。ある同僚は「通常の会社の休職率は1%だそうです。うちの会社は2%も休職しているなんて、かなりのブラックですよ。」と言っていたが、そうかなあ、逆に緩いんじゃないのと思い、あまり実感は湧かなかった。一つの会社に22年間勤め続けているだけで他を知らないので、他もこんなものでしょう、考えても仕方がないと、特に疑問を持つことは無かった。

つまり、当時私は、働き盛りの40代はこれくらい忙しくて当然、平日は子供と会わなくても当然という考えで、さらに合間に不動産投資を行い、さらに資格を取得するなど、全力で駆け抜けるように日々を過ごしていた。

生き方ミニマリストという考え方

そんな私も困った性質があった。私が勝手に作った言葉であるが『生き方ミニマリスト』という考え方である。通常、ミニマリストとは、最小限の所有物で生活することを指すのだと思う。私の『生き方ミニマリスト』というのは私の造語で申し訳ないが、簡単に言えば、人生の中で必要最小限頑張るというものである。私がこの変てこな性質があると認識したのは、大学生活でのことであった。

私は高校1年生の時から落ちこぼれ、学校の授業が全教科理解できなくなった。化学の定期テストで13点を取り、化学の教師は答案を私に返却するときに「ひでえ点」と言ったことを覚えている。そのような落ちこぼれであった私もその後、なんとか大学に入学したが、当然、大学の授業は全教科1ミリも理解できない。私は1ミリも理解できない授業を聞いていても仕方ないと思い、そのうち出席を取らない授業には参加しなくなった。

また、出席を取る授業に関しては、単位を取るのに必要な出席日数ぎりぎりで参加し、参加した時は一番後ろの席で寝ているか、出席簿に記入したのち、適当なタイミングで退出したりしていた。出席簿には欠席した日も頼んでもいないのに誰かが代筆してくれていたりして、妙にありがたかったのを覚えている。

このままいけば、留年→退学となってしまうのが普通である。しかし私は、1年の前期試験の時に、ある事に気付いた。それは、「半期分の板書をマル覚えすれば、単位はもらえる。」という事実である。大学の教授も私のような頭の悪い学生が大量に留年するのを恐れて、授業をしっかり聞いてくれれば、とりあえず、単位は出そうという方針らしかった。

私は、その事実に気付き、その後の授業の出席率は激減した。まず、期の初めに第一回の授業に出る。その際に出席を取らなければ、その後に授業は一切出ず、その期末に試験を受けるということを繰り返した。

試験の前日までに友人からノートを借り、半期分の板書をコピーする。そして、試験の前日に半年分の板書を徹夜で3回書きなぐる。若さと集中力で、頭の中のメモリに完全に半期分の板書が入力される。そして、メモリが消えないように寝ないでそのまま試験場に向かい、頭の中に記憶されている内容を意味も分からず、とにかく答案に書きつける。そして、帰って爆睡し、頭の中のメモリを完全に消去する。それで、また、次の試験に備えるということを繰り返した。

試験は飛び飛びの日程で行われることが多かったので助かった。たまに試験日が連日になるときには、2日連続の徹夜は不可能なので、1教科は多少前から覚えるようにした。

幸い、1年2年は辛かったがその作戦で1単位も落とすことなく進級できた。3年になると授業は選択授業が出てくる。私としては、卒業するのに必要な単位数ぎりぎりで授業を選択した。ただし、周りの学生は私から見たらなんでそんなに取るの?卒業するだけなら、そんなに必要ないしと思うほど、授業を選択していた。私と同じであまり出来の良くない友人たちも、そんなに授業を取ってどうするのと言いたいくらい、授業を選択していた。

私の学科は3年の前期の必須授業の一つに、学年の3割しか単位が取れない名物の難関授業があった。残り7割の人は4年で再挑戦するという厳しさであった。落としてしまえば、また4年でこの授業を取らなくてはならず、結局は頑張らなくてはならない。私は、周りの学生より少ない授業数で時間がある分、とにかくこの難関授業の単位取得に専念することとした。そして、私は、この授業を3年で一発で単位を取得し、しかも成績は『優』であった。

困ったのは翌年である。私の友人は類は友を呼ぶではないが、出来の悪いのが多く、そのほとんどが、この授業の単位を取れずに、4年で取り直していた。彼らは当然、私も単位を取っていないと思い込み、当然のように、「○○の授業行こうぜ。」と声を掛けられ続けた。「ごめん。実は去年通っているんだ。」と何故か申し訳ない気持ちでひらすら謝っていた。

そんな大学生活も無事に留年することもなく4年で卒業できることとなった。私は1単位も落とさず、最小単位数の取得で卒業することとなった。まさに、最小限頑張るという『生き方ミニマリスト』的な大学生活であった。

そんな「生き方ミニマリスト」な性質を持つ私が、22年間会社に勤務し、13年間の不動産投資を行ったことで築いた資産を見て、もう残りの人生の中で、単身赴任したり、0.30に帰宅して翌日6:30に家を出る生活をしてまで頑張らなくていいんじゃないかと思うようになり、その結果、退職しセミリタイア生活をすることとなった。これが私がセミリタイアした最大の理由である。

さらにセミリタイア踏み切らせたもう一つの性質については、またいずれ述べたいと思う。

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小規模小借金の不動産投資でセミリタイアした私の方法

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