落札、買受した部屋の目の前での光景
競売での初の購入成功に意気揚々とした私が、購入した部屋のあるフロアまで階段で登り、マンションの廊下を進むと、驚いたことに私の部屋の近くで、一人の老婆がしゃがんで廊下の床を布切れで水拭きをしていた。というかどう見ても私が購入した部屋の前である。しかも、なにやらブツブツと言いながら、作業している。
廊下と言っても、普通のマンションの廊下で、片側には部屋が並んでおり、片側は手すりがあって、外に向いている。さらに私が購入した部屋より奥の部屋が数戸あるので、その部屋の住人たちも通るところである。
自主管理のマンションではなく、管理会社が入っているので、管理会社が適度に清掃をいれているであろう。はたして、この廊下の床を水拭きする必要があるのだろうか。それにしても、絶えず何やらブツブツ言っているのが怖い。
私は、とっさに芥川龍之介の羅生門を思い出していた。下人が楼上に上がると怪しい老婆がいたというシーンである。
前回の記事競売物件の残代金納付後の話 で、事前調査に訪れ、管理人に許可を得てマンション内に入った時も、部屋の前までは来たが、その時は見なかった光景である。
競売の3点セットの現況調査報告書には、占有者かつ賃借人として男性の名前が書いてあり、その賃借人の陳述では家族と住んでいると書かれていた。ただし、賃借人の年齢や家族構成に関する情報は記載されていなかった。
私が買った部屋の前でしゃがんで床拭きをしていることと、賃借人が家族と住んでいると現況調査報告書に書いていたことから、おそらくこの老婆は賃借人の家族なのだろう。私は、ヤバい物件を購入してしまったのではないかと激しく動揺した。
入居者と思われる老婆に話しかける
今は熱い戦いの日々の感慨にふけり、気まぐれでふらっとマンションの中に入っただけなので、入居者の部屋を訪れるつもりは無かった。予定としては、一旦マンションを出て、改めて駅前で菓子折りを買ってから、再度マンションに戻り入居者の部屋を訪ね、現在の賃貸契約書を見せてもらう予定であったが、目の前に入居者がいるのに引き返すのも挙動不審かと思い、意を決して、そのブツブツ言いながら床拭きしている老婆に声を掛けてみた。
「あの~。すみません。」
老婆は声を掛けられたことに驚き、ハトが豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「私、こちらの物件を競売で買った弱小大家父さんと言います。前のオーナーから私に所有権が…」とオドオドしならが話したが、老婆は相槌もせず無言で、こちらの話が1ミリも通じていないことは明らかであった。
仕方なく、「また、正式にご挨拶に来ますので、その時はよろしくお願いいたします。」というと、ようやく、「はい、はい、そうですね。」と言って、私が購入した部屋の玄関のドアから中に入っていった。
私は、先ほどまでの高揚した気分とは一転、ヤバい物件を購入してしまったと、半泣きになりながら、そのマンションを飛び出したのであった。(その3へ続く)
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